お店のこと
北船場レトロ建築めぐり


江戸時代には「天下の台所」と呼ばれ、商業の中心地として栄えた大阪。さらに大正末期から昭和初期には「大大阪」とも呼ばれ、産業のみならず、文化や芸術においても繁栄を極め、人口も東京を抜いていたといいます。
その時代を支えていたのが、ここ船場でした。
現在ではすっかりビジネス街となり、華やかさやにぎやかさはありませんが、歩いていて目を引くのが、当時をしのばせる趣のある建物の数々。一時は建て替えが続いたようですが、近年再評価され、保存の機運が高まったこともあり、あちこちに残されているのです。それぞれに現代のビルとは違う凝ったつくり、そして独特のたたずまいがあるので、建築の知識がまったくなくてもだれもが引き付けられるものばかりです。
地下鉄御堂筋線・淀屋橋駅からリネンバード北浜のあるザ・北浜プラザまでの間、北船場にも、いくつもおもしろい建物があるので、ちょっと見ながらぶらぶらと歩いてみてはいかがでしょう。
また、これ以外にも個性あふれる建物はまだまだあります。自分で発見して調べてみる、というのも楽しいかもしれません。






東京駅や大阪の中央公会堂を手がけた建築家・辰野金吾の設計。赤いレンガに白い石を帯状にめぐらせたデザインで、同じ人の手によるものとわかります。証券会社、生命保険会社として使われたのち、2002年からフランス料理店に。


大阪で一番古い幼稚園。日本最古の木造園舎があり、今も現役です。園庭には、昭和6年に作られた螺旋式の滑り台があり、これも重要文化財に指定されています。ときどき内部見学会も行われているそう。








歴史の教科書にも出てきた適塾。緒方洪庵が開いた蘭学塾で、福沢諭吉もここで学ぶなど、幕末〜明治に活躍した人物を多く輩出した場所です。緒方洪庵の銅像もあります。


これも大正時代に辰野金吾が設計したもので、当初は赤レンガだったとか。昭和に入ってから大阪を拠点に活躍した建築家・国枝博が外観をアラベスク風に改修しています。テラコッタ仕立て、凝ったレリーフの美しい建物。




大正時代、輸入食料品店などを経営していた野田源次郎が西園寺公望に同行して渡欧、帰国後に建てた私邸。全体を覆うアイビーは、なんと甲子園球場から株分けしてもらったものだとか。現在は1階に珈琲店なども入っています。


基本は木造の町家建築ですが、一階入り口の両サイドにはレンガの柱、そしてデザインされた庇、そして2階と3階につながるモダンな窓が特徴的。中はやはり和風のつくりだとか。




老朽化に伴って2004年に建て替えられましたが、低層部にはかつての市場館部分の外観が残されており、北浜のシンボルともいわれています。玄関ホールの内部は、アールデコスタイルのステンドグラスがきれい。


バロック調建築様式の重厚な建物。正面の円柱と、ドーム状の中央ホールが印象的です。中央ホールは天窓や螺旋階段が美しい。設計者の野口孫市は、辰野金吾の弟子。




明治末期、株の仲買商として財をなした岩本栄之助が大阪市に工事費用100万円を寄付して作られました。アメリカを視察した折、「富を築いた者は公衆に還元する」という考え方に大いに感銘を受けたのだとか。指名コンペで選ばれた原案を元にこれも辰野金吾が設計。


個人の法律事務所ですが、多くの名作建築を残し、最近再評価されている村野藤吾の作品。鉄細工が見事です。




江戸時代、外国から輸入された薬を扱った薬種中買仲間が相次いで店を構えたことから、船場・道修町(どしょうまち)は薬の街。現在も多くの大手製薬会社が本社を構えています。こちらは現在では本社ビルではありませんが、風格あるたたずまい。


明治の薬問屋小西儀助商店は、ボンドで有名な現在の「コニシ」の前身。かつての典型的な船場の商家の姿がビルの谷間に残されています。内部はこちらで。




株仲買商によって建てられたイギリス様式洋館。銅板葺きの屋根、内部の木製階段が印象的。地階には金庫もあるとか。大規模な保存・改修工事が行われ、平成9年(1997)によみがえりました。現在は、英国式ティールーム『北浜レトロ』として営業中。