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24.05.15
《つくり手ファイル》いぐさを編む、岡山ならではのかごづくり/須浪亨商店 須浪隆貴さん
今この原稿は、いぐさの香りに包まれながらしあわせな気持ちで書いています。須浪亨商店のかごがエンベロープに届いてからというものの、あの懐かしい畳の香りが私たちを癒してくれています。
今回ご紹介するのは、岡山県でいぐさのかごを編む須浪隆貴さん。この地に根差し暮らしを助けてきた道具を守り、今に伝えます。
■畳文化を支えた倉敷で
須浪さんがものづくりをするのは、岡山県倉敷市。いぐさの生産地といえば国内では熊本県が圧倒的ですが、かつて倉敷市周辺も一大産地でした。
「干拓によってできた場所なので、土壌に塩分がありお米の栽培に適さない土地でした。代わりの換金作物として、いぐさの栽培が盛んになったんです。
須浪亨商店は、1886年にいぐさ栽培の農家として創業しました。その少し後にいぐさを染めたものを模様に織った『花ござ』が開発され、皆と同じように自動織機による花ござの製造をはじめました。3代目須浪亨の時代です」
「その後、亨と4代目私の父親である伸介が一緒に商売をしていましたが、亨は病気、伸介は急死により2005年ごろ廃業しました。
母も勤めに出るようになり、祖母がひとりで花ござの仕事を続けるのは難しかったため、ひとりでもできるかごづくりをはじめました」
「ここからは私の話になります。
家に男手がなくなったこともあり、田んぼの仕事を手伝うようになり、その流れでかごのことも学びました。好きでやっていたというより、小遣いを貰えるからです。
いくつか仕事をしている中のひとつとしてい草のかごづくりをしていましたが、20歳頃に専業としてやっていこうと考えました」
■祖母からの技を受け継いで
現在30歳の若きつくり手須浪さんですが、すでに経歴は10年。かごづくりの経験となると、子どものころまでさかのぼります。
つくり方を教えてくれたのはおばあさま。おじいさまの介護によって引退することになり仕事を引き継ぎました。
そうした経緯を聞くと気負いなく自然な流れのように聞こえますが、「強いていえば」とこんな話もしてくれました。
「祖母が自分も出品していた『日本民藝館展』に連れていってくれたんです。
当時高校生でしたが、いろんなかごが日本中にあるのだな、こういうことをして生活している人もいるのだな、という実感が沸きました」
手先は器用な方ではあったけど、作家志望というわけではなくごく普通の青年だった須浪さん。ご本人も意識していなかったそうですが、「今にして思えば、祖母は私がこういう世界が好きなのではと感じていたのかもしれませんね」
「身の回りに作家がいなかったので、それで食べていくというビジョンがなかったんです。なので最初は手探りでした。
どうやって売ろうと考えて民芸店やインテリアショップに持っていき、ありがたいことに取り扱ってくれる店が増えてきた感じです」
戦後の闇市の買い出しに使っていた「いかご」や醤油は量り売りされていた時代の「びんかご」など、影ながら日本の暮らしを支えていたいぐさの道具ですが、現在そのつくり手は須浪さんお一人。
製法や素材づかいはオリジナルを大切にしながら、今の私たちの暮らしに取り入れやすいかたちでつないでいます。
■畳からの副産物を素材に
いぐさは、主に熊本県産が使われています。
「長いものから選別されてゆき、1番から等級がつけられますが、私たちが使っているのは6番くらい。
よし悪しは長さで決められることが多いので安く仕入れられますし、畳にできない短い草を活用するので理にかなっているんです」
面白いのが天気によってかごの質感が変わること。素材が呼吸することによって雨の日は水分を吸って硬くなり、乾燥した日は水分をはいてやわらかくなるのだそうです。
使うほどに人の手の脂でツヤが増し、青々とした色もやがて飴色に。モノというより相棒のような、そんな愛おしさを抱かせる持ち味があります。
かごといえば素材を手で編む絵を思い浮かべませんか。いぐさかごのつくり方は、イメージしていたそれとは違っていました。
「まず10数本ずつ束ねて縄に綯(な)います。それを織機に1本ずつかけて、生地に織るんです」
ここで登場するのがおばあさまも使っていた織機。
木製のかご織機は平成のはじめごろのものというからそれほど古くはないけれど、昔話に出てきそうな深い味わいがあります。
型は用いず、使うのは編み物の編み図のような織り方設計図。一枚の織物となったいぐさは、手作業でかごのかたちに変身します。
持ち手をつけて、はさみで端を美しく整えて、一日にならすとつくれても3個くらいなのだそうです。
■岡山のかごを知ってもらいたい
「ご愛用頂いているいかごが壊れてしまった場合、喜んで修理させていただきます」
須浪亨商店のウェブサイトにはそんな一文があります。
持ち手のみなら無償。さらに、違和感がでないよう経年変化したいぐさも用意しておく気遣いまで。なぜそこまで面倒を見てくれるのでしょうか。
「この地域は山がなくつるや樹皮が手に入らないので、畳に使えないいぐさでかごをつくってきました。その理念や製法に従って今もいぐさを使っていますが、正直山葡萄のような一生ものではありません。
修理してまで大切に使ってくださることはありがたいこと。できる限り修理したいと思っています」
修理依頼は6、7年のものが多いそう(中には20年ものも)。一生ものではないとはいえ、直してさらに使うことを考えると決して短くはないお付き合いなのでは。
直しながらもやがてものの寿命がやってきたときに、またいぐさのかごを使ってもらいたい。そのために買い替えのきく価格を意識しているそうです。
ご自身の金銭感覚と照らし合わせて設定された価格は、手仕事の手間を考えるともう少しいただいてもよいのでは?と思うのですがその分沢山つくることで補いたいといいます。
「できるだけ手を動かすことを心がけています。民芸の本にも書いてあるように、数をつくったら見えてくるものがあるんじゃないかと思うんです」
作品を通して伝えたいのは自分の想いよりも、岡山にはいぐさのかごがあるんだよということ。
「自分は作家とは思っていない。肩書には特にこだわっていないんですよ」という言葉からも、この地域ならではの道具を守っていきたいまっすぐな想いが伝わってきました。
写真提供:須浪亨商店(3、6、8枚目以外)
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