2024.3.10
4時間47分が語るもの
短い動画をくり返して視聴しているうちに、だんだん生活から映画が離れている気がしていました。そんななか、好きな映画のリバイバル上映が劇場で続き、配信ではなく映画館で観ることの心地よさを改めて感じています。
座席に身を固定した不自由さがありがたいとは、基本にもどっている感じがします。先日観たのは「夢の涯てまでも」という4時間47分の超大作でした。
ストーリーは、主人公クレアがあてもなく車で走っていると、隣り合わせになった強盗犯の車から瓶を投げられ、車が大破したことからお金を運ぶのを手伝うことになるのですが、その途中でクレアは何者かに追われるトレヴァーという男に出会い、なぜだか惹かれてそこからベルリン、リスボン、モスクワ、北京、東京、サンフランシスコ、オーストラリアと世界中を舞台に追跡劇がはじまります。
その道のりだけでも長いのですがそれは序盤に過ぎなく、逃亡中のトレヴァーは盲目の母の大きな目的のために逃げ続け、たどり着いたその場所では旅も忘れるような夢の実験が広がっている……というSF映画でした。
4時間47分はディレクターズカット版で、映画の縮小版が公開されたのは1991年。このロードムービーには「見る」というテーマも隠されていて、「今ここに生きる」のではなく映像を「見る」ことにとりつかれる人間の様子も描かれていました。アボリジニの民族が音楽を鳴らす描写も出てきて、監督のヴィム・ヴェンダースは科学の進歩ばかりに夢中になるであろう人間に早々に気づき、警鐘を鳴らしているように思えました。
皮肉にも映像に夢中になっている訳ですが、この長い映画は決して圧縮できないものだと感じ、アトラクションのように、もう一度見たいなと思っているところです。