2024.10.06
吉野ヶ里歴史公園
先月、遅めの夏休みに福岡へ行ってきました。その滞在の初日、福岡空港に着いた足でそのまま向かったのが、佐賀にある吉野ヶ里遺跡。約40ヘクタール(東京ドーム9個分)といわれる巨大歴史公園がどんな見晴らしなのかずっと気になっていました。
福岡空港から博多駅には10分くらいで到着できるという便利さにも驚きながら、空港から吉野ヶ里遺跡には1時間30分ほどで到着。博多駅から新幹線で新鳥栖、長崎本線に乗り着いで吉野ヶ里公園駅で下車。
そこから歩いて12分ほど(自転車5分)の場所に、弥生時代の暮らしが再現された巨大公園が広がっていました。
訪ねたのは9月の終わりでしたが、灼熱の暑さ、遮るものが一切ないこの場所。そして平日だったので人もいない。人口が60万人と推測される弥生時代こそ、こんな感じでしょうか。
そこから南内郭と呼ばれる物見やぐらや、移住空間をまわっていきます。藁のにおいがする湿った竪穴住居を覗くも、蝋人形のような弥生人の精巧なモデルがいて、本当に怖い……。
そこから高床式の大きな建物、北内郭とよばれるところへ。
縄文時代はムラ、弥生時代はクニへといわれますが、この北内郭で祭祀やクニの会議などが行われていたんだそうです。この歴史公園は復元されたものなので、移築のような当時の建材はありませんが、想像以上に大きく立派な建物でした。北内郭にはこの時代の最高司祭者がいたとか。
そこから、北墳丘墓へ。ここは吉野ヶ里集落の歴代の王が埋蔵されていると考えられているお墓。この時代は甕棺に入れて埋蔵されていたんだそうです。とんでもなく大きな素焼きの土器が発掘され、そこには故人の大切なものが一緒に埋蔵されています。
目の前に2100年前の、全く知らない故人の甕棺が並んでいました。2100年前……。
そんな感じで、この巨大公園には弥生時代の生活感がわかる遺物がぎっしりと展示されていて、生活感や生活道具、鏡や勾玉、銅剣などがこの頃から存在したことがわかります。弥生から稲作がはじまり、人口が増えて、縄文と異なり争いも増えてきた頃。
魚貝や木の実に加えて、米が追加され、バランスよく食べることができるようになった時代。こうだったのかな?という問いばかりよぎり、あれこれと思いを馳せる時間でした。
余談ですが、九州はレトロで魅力的な鉄道が走っているんですね。帰路はグレーの列車九州787系「つばめ」にときめいて福岡に戻りました。