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20.07.31

《工場見学8》麻織物工場/滋賀

2003年から2009年頃にかけてリネンバードのウェブサイトに掲載していた「工場見学」を改めてお届けします。今回お邪魔したのは滋賀県の麻織物工場 。琵琶湖の東、湖東地方では、鎌倉時代から農業のかたわら機織りが始まったといわれています。その後近江商人によって、全国に広められた質のいい麻布は、近江上布としてブランドに。今もこの地方では多くの麻織物工場が点在しています。
※この記事は当時のまま掲載しているため、現在の状況とは異なる点があります。

■日本で生まれる質のいい麻

琵琶湖方向には平坦な田園地帯が広がり、背後にはすぐ鈴鹿山脈が迫る、美しい風景が続きます。田舎とはいっても、田んぼの中の道を行くと、立派な近江商人の生家があったりする、とても歴史を感じさせる地域です。

近江商人は、呉服や蚊帳や麻布などの繊維関係で成功し、現在の商社や百貨店の中にも、近江商人にルーツをもつ会社が多く存在しています。

▲戦前に建てられた工場、蔵、この電灯は使っているのかなあ。捨てるようなことがあれば、譲ってくださいね。

琵琶湖方向には平坦な田園地帯が広がり、背後にはすぐ鈴鹿山脈が迫る美しい風景が続きます。田舎とはいっても、田んぼの中の道を行くと、立派な近江商人の生家があったりする、とても歴史を感じさせる地域です。

近江商人は呉服や蚊帳や麻布などの繊維関係で成功し、現在の商社や百貨店の中にも、近江商人にルーツをもつ会社が多く存在しています。

「毎度おおきに、暑いのにご苦労さんです。」と出迎えていただき、ハタバへと案内されました。お盆前ということで、工場に人影もまばら。やはり夏に需要の高い麻織物は、製造に関しては秋から冬にかけてが最も忙しく、お盆前後が一番暇になるそうです。

年季のはいったシャトル織機は、シャトルにはいった糸が無くなるたびに機械がとまり、人の手で交換されます。こうして味わいのある布ができあがっていきます。織機は時間がかかります。

古いだけに織機のメインテナンスは大変です。みんなそれぞれ機械に関しても、知識があるそうです。使われなくなった織機は、稼働中の機械の部品交換のために、まとめて残されています。少しずつ少しずつ壊されていくのは辛いことですが、仕方ないですね。

創業何年ですかと聞いたら、笑いながら「それがよくわからんのですよ」と答えられました。

「この辺りでは、どこの家にも織機があって、機織りが日常的なことだったのだと思います。そのうち先代が機械を入れて、家で織るかわりに、ここで織ったらということで、自然に集約されて工場になっていったようですよ」

確かに官営工場とかと違って、何年に創立とかじゃなく、もともとあった家内制手工業から発展したようです。

本館の建物は戦前に建てられたそうです。

「昔のハタバの写真とかないんですか」と訊いたらまた笑われて、「そんな昔の人は普通に働いているところの写真なんか撮ってないですよ。みんながかしこまって撮った集合写真とかは何枚かありますけど」 確かに、実家にある古い写真は、みんなカメラに向かってポーズばっかりだったと思い出して、納得しました。

昭和30年代から40年代にかけては繁忙を極めたそうで、敷地内にはその頃建てた3階建て鉄筋の寮が残っています。その後はオイルショックや、ドルの変動などで産業全体が縮小し、稼動する設備も徐々に少なくなったそうです。

縦糸を整経し、杼(ひ)を通しています。古い機械が活躍し、多くの手作業が残されています。すべて熟練を要する作業です。

糸に糊付けする装置、デンプン糊をつけることで、糸が切れにくくなり、整経などの準備段階が容易になります。

リネンの場合は、よほど細い糸でない限り、糊付けすることはありません。ここでは、主に綿糸に糊付けするのに使われています。糊をつけた後は乾かすので、大きなボイラー室も必要です。

他の工場と同様、人数は多くありません。

別の形の横糸の巻き。井戸から汲み上げた冷水を天井に流して、エコ冷房しています。働いている人には十分でないかもしれませんが、私たちにはとても快適でした。

明日は年に2度の大掃除の日、お盆休みとお正月休みの前日にします。掃除道具は自前でつくります。

これからこの笹を竹にくっつけ、高いところもきれいにするそうです。ずっと昔からこうやっていたそうです。

カテゴリ:リネンバード, 工場見学

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